|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 海軍 : [かいぐん] 【名詞】navy, Navy ・ 軍 : [ぐん] 1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops
ジョン・エリオット(John Elliot、1732年-1808年9月20日)はスコットランド出身のイギリス海軍士官である。七年戦争とアメリカ独立戦争で活躍して提督にまで昇進し、その後ニューファンドランド植民地の総督を短期間務めた。 エリオットはスコットランドのジェントリの家庭に生まれ、イギリス海軍に入った。入隊直後のころはあまり知られていないが、七年戦争時にへの昇進を受け、32門フリゲート艦のアイオロスを指揮して、フランスの小型私掠船を拿捕し、その後3隻から成る戦隊を指揮して、悪名高きフランス私掠船の船長で、1760年にアイルランド沿岸を攻撃していたに、イギリスとの交戦を仕向けるという快挙を成し遂げた。短時間の、しかし激しい戦闘の後、テュロは戦死し、私掠船は拿捕された。エリオットは英雄として歓喜の声で迎えられ、彼の戦隊の艦長たちも報酬を得た。七年戦争が終わるまでに数隻の艦を指揮したエリオットは、その後の平時を経て、アメリカ独立戦争で戦場に復帰した。 このアメリカ独立戦争でのエリオットの任務には、カーライル和平使節団の委員をアメリカに派遣することも含まれていた。そして、ヨーロッパに帰る前に、アメリカの沖合での作戦で役割を果たしたが、これはさほど大規模なものではなかった。ジブラルタル包囲戦とサン・ビセンテ岬の海戦に、ジョージ・ブリッジズ・ロドニー提督と参戦し、また、提督と1781年のウェサン島の戦いにも参戦した。アメリカ独立戦争後、提督に昇進したエリオットは、平時にニューファンドランドの総督を務めた。しかしその後勃発したフランス革命戦争では、体力の衰えによりため参戦がかなわず、1808年に提督の地位で死去した。 ==海軍入隊と家族== エリオットは1732年、スコットランドに、2代準男爵サー・ギルバート・エリオットと妻ヘレンの四男として生まれた。子供の頃のエリオットに関する情報はきわめて少ないが、1740年にポーツマスのを卒業後、イギリス海軍に入隊して、その年の7月にに乗った。それから病院船のに移り、とに乗って、その後ので2年間任務に就いた 。1752年1月には海尉試験に合格したが、その後任務を受けるまでに時間がかかり、1756年4月30日にやっとに乗艦した。おそらくこの頃に、兄である3代準男爵サー・ギルバート・エリオットが国会議員となって、海軍卿の一人に任命されたため、エリオットの昇進の速度が増したと思われる。1757年の1月21日には指揮官となり、同じ1757年の4月5日にはポストキャプテンとなった。指揮官としての最初の仕事は、海峡艦隊と共にを率いて、ロシュフォールの偵察に向かうことだった〔。 1758年11月には、新しい32門艦ので任務に就いた。1759年3月19日、ブルターニュの沖合を50門艦と進んでいたエリオットは、フランスのコルベット艦4隻が船団を護送しているのに出くわした〔。この船団と2隻のフリゲート艦は逃走したが、アイシスがその後をつけ、その場に残ったフランス艦、36門のブロンドと20門のミニヨンヌは、エリオットのアイオロスのすぐそばまでやって来て、アイオロスがアイシスと共に後を追うのを妨害した。エリオットはミニヨンヌと交戦して、激戦の末これを拿捕したが、ブロンドは逃げ去った。この交戦でミニヨンヌの指揮官は戦死し、副指揮官を含む25人の乗員が負傷した。アイオロスの死傷者は、2、3人の負傷者が出たにとどまった〔。エリオットは、その年いっぱいをエドワード・ホークの艦隊と共に航海し、12月27日には、キベロン湾からで巡航した。この艦は悪天候のため、指定されていた合流地点のグロワ島に到着できず、物資が底を尽きはじめ、エリオットは代わりにアイルランド南部のを目指して、1760年1月21日にそこで補給をした〔 。そこでも天気は荒れた状態のままで、出発を延期している間に、アイルランド総督の4代ベドフォード公爵ジョン・ラッセルからの手紙が届いた。その内容は援助を依頼するものであった。フランスの私掠船船長のフランソワ・テュロが(アイルランド北東部の都市)の近くにしており、この沿岸には数隻の船しかいないということだった 。この手紙はイギリス艦が立ち寄るすべての港に送られていて、どこかにテュロたちを捕らえる艦が寄港しているという期待が込められていた。しかし艦は皆出払っており、偶然にエリオットだけがキンセールに寄港していたのだった。またキンセールには、嵐から避難していた36門艦ともいた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・エリオット (イギリス海軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|